大隅国史跡巡り
上野原縄文の森です。
資料展示などを見ることによって、南九州の縄文文化を知ることができます。
館内のあちこちにクイズがあって、好成績を残すと縄文の森名誉住民の証明書を
発行してくれます。
上級問題を選んだら、けっこうシビアな問題でした。
隼人塚です。
そばに、小さな展示館があって、館長さんが親切に説明してくださいました。
大隅国が、712年にできて、720年に住民であった隼人が反乱を起こします。
鎮圧のために、1400人あまりの隼人が処刑されてしまいました。
その後、都に不穏な出来事が続発し、隼人の祟りを鎮めるために
隼人塚が作られたのだそうです。
ちなみに、古事記の中では、海幸彦が隼人の祖、
つまり、天皇家と隼人は親戚関係ということになっています。
大隅国分寺跡です。
この、石造層塔は、1142年に国分寺の再興を願って建てられたということです。
薩摩国分寺のほうは公園として整備されており展示館もあるので、
ちょっと……でした (*^.^*)
最後に、大穴持神社です。
錦江湾の一番奥、国分市の国道10号線沿いにあり、
錦江湾に睨みをきかすように建っています。
今は、干拓されて新田が広がっていますが、昔はすぐ目の前まで海でした。
大穴は、火口のことで、火山を鎮めるために鎮座した神社です。
錦江湾は巨大な火口湖で、縄文の昔から噴火を繰り返し人々を苦しめてきました。
大己貴(オオナムチ)命が祭神ですが、この神はまたの名を大国主命といいます。
もともとは奥州津軽山にいた神様ですが774年に勅命を拝して目の前の
神造(いしつくり)島に遷座した。
その後島崩れのためこの地に遷ったと、案内板に書いてありました……???(-.-)
青森と鹿児島は、地図をひっくり返すと地形が似ているんですけれど、
火山繋がりがあるのでしょうか。
姶良カルデラの周辺に住んでいた縄文人が
大昔から拝み続けた神様だと思うんですけどねえ……。
大隅を楽しんだ一日でした。
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