「アリモリソウ→平有盛」から、連想のスパイラルで
「平行盛(たいらのゆきもり)」にいきます。
平行盛神社入り口です。
龍郷町戸口集落にあります。
空港から国道58号を龍郷町役場を通り過ぎ名瀬に向かって走ると
左手にディスカウントショップ「ビッグⅡ」が見えてきます。
その手前の信号を、左手に入っていって突き当たった集落が戸口(とぐち)です。
正面に戸口港、平行盛神社はさらに右手に進み突き当たった高台の上にあります。
高台と言っても標高差は7~8m程度です。
しかし、地形としては天然の要害です。川をお堀代わりに使っています。
戸口港から攻め入ったとして、この本丸は浦の最深部に位置しています。
たどり着くまでに3つの武者だまりを突破しなければならない
築城になっていたようです。
平家と奄美との関わりの概要はこうです。
壇ノ浦の決戦の前夜、平資盛は安徳天皇を密かに連れだし、
志布志を経由して奄美へ逃れました。
安徳天皇を硫黄島にお守りし、生活物資は奄美大島から届けました。
資盛は諸鈍に居城を構えて全軍を総管し、
有盛は浦上に居城を構えて北部を警備し、
行盛は戸口に居城を構えて東南を警備しました。
いくつかの不運が重なり、平家一族は1240(仁治元)年頃には
滅亡したと伝えられています。
このことは、1773(安永2)年、
大島名瀬方役目の道郷から薩摩藩に差し出された
「奄美大島平家没落由来書」に記されています。
ただし、この由来書はかつて行盛の家臣が記していたものを
道郷が写したものだと考えられています。
道郷は、行盛の本拠地、戸口の出身でした。
先祖から、平家一党のことを重々聞かされており、記録も残っていたようですね。
由来書の顛末は、昇曙夢(のぼり しょむ)「大奄美史」の中に記されています。
大奄美史は昭和24年奄美社から出版された奄美歴史のバイブルですが、
このほど、平成21年8月南方新社より復刻出版されました。
ISBN 9784861241666
定価 9660円
こちらの写真は戸口港です。
大島東側の、冬の季節風に悩まされることの少ない天然の良港です。
戸口は、「戸(=海)の口」という解説もされていますが、
発掘による中国陶磁器類の出土状況を見ると、
琉球・中国貿易のために開かれた「戸口」という理解が
簡単で理にかなっているような気がします。
出てくるとき、名瀬港は一番外の一文字堤防を波が越えるような荒れ模様でしたが、
戸口は、ご覧のようなのどかな冬景色でした。
天然の良港とは、このことですね。
さて、ここまできたら、残りは、「平資盛(たいらのすけもり)」ですが、
こちらは、諸鈍シバヤで有名な、「大屯(おおちょんじんじゃ)神社」です。
諸鈍シバヤについては、すでに、アップしてありますので、
→ こちら
「諸鈍シバヤ」
で、ごらんください。
なぜ、平家一党は、奄美の地でこのように大切にされているのでしょうか。
それは、平家一党が、地元住民を支配しつつも、大切に扱ったからに他なりません。
生活、芸能などの多方面で、良き指導者であったようです。
「奄美中興の祖」という感じです。
2005年10月9日から3日間、
加計呂麻島の諸鈍で「平家来島800年祭」が行われたということです。