2010年02月03日
湯湾岳

與湾大親の石碑の右側の細い道を入っていくと
5分ほどで、奄美大島の最高地点の標識が立っています。

標識を真上から見たところです。
「奄美岳 日本固有地 694」と書いてあります。
與湾大親の石碑の後ろに建っていた御堂にも「奄美岳大師御堂」と書いてありました。
奄美民話の会の嘉原カオリさんがホライゾン19号にアマミコ神話について書いていらっしゃいました。
アマミコとシニレクが矛で揺れ動く島々をかき回したところ、島々がひとつに固まって
立派な台地になりました。そこでその土地の最も高い山(アマンデー)に降り立ちました。
アマンデーは奄美岳ですから、最も高い湯湾岳がアマンデー、奄美岳というわけでしょうか。

標識を左に曲がって少し進むと、眺望の開けた場所があります。
開けたというよりは、無理矢理開いたという感じですけど……(*^.^*)
雨間の夕暮れ時の島影は、なんだか神々しい雰囲気でした。


帰り道に見た、リュウキュウイチゴの花とオーストンオオアカゲラです。
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2010年02月02日
湯湾岳 前編

1月24日(日)湯湾岳に行ってきました。
途中、小宿の旧堤防を探したり、大和村でウラジロガシを見たりしていたら
すっかり遅くなってしまいました。駆け足で登山道を登ります。


左はマンリョウ、右はユワンツチトリモチ。
まだ少し残っていました。

登り着いたところに、赤い鳥居がありました。
中の広場にいくつかの御堂と石碑があります。


左は「天左諸神神璽」と書いてあります。
右は、手前の石碑が「大島酋長 與湾大親」、奥の御堂は「奄美岳大師御堂」です。


右の石碑には「嗚呼大島開闢始祖 奄麻美古 志爾禮久 二神降臨之霊地 明治37年9月16日」
とあります。
左の2基の内、右には「アマミコノミコト」とカタカナで彫ってあります。
左は文字が彫ってあるのかさえ判然としませんが、おそらく「シニレクノミコト」でしょう。
古事記・日本書紀のイザナギ・イザナミのように男女二神が天から降りてきて国造りをします。
このスタイルが世界共通なのか、
東征をした一族と、奄美を支配した一族は同族だったのか……。
ただ奄美の伝承は「アマミコ神話」と言うようです。
「アマミコ・シニレク」と言いますが「シニレク・アマミコ」とは言いません。
先ほどの二基の石碑もはじめから「シニレク」は書いてなかったのかもしれません。
母系制社会の形を色濃く残しているように思われます。