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Posted by チェスト at

2010年03月08日

ポイズンリムーバ




ポイズンリムーバ、日本語で言うと「毒吸い出し器」かな。
知人に
「えっ!奄美の野山を歩き回るくせに持ってないの」
と言われたものですから、ビッグⅡで買い求めました。
ディスカウントショップで普通に売っているところが奄美大島だなあ……。
ちなみに、ハブ採り棒とかハブ籠とかも売ってます。

ハブ、スズメバチなどの被害の、医師にかかるまでの初期対応用品です。
2分以内に処置することが望ましく、
ハブなどの場合は15分たってしまうと効果がないと書いてあります。

私が着ていた、黒いレインウエア(雨合羽)を見て、
「それもだめだ」と言われました。
蜂の仲間は、まず黒いものに向かってくるんだそうです。
山中でいざというとき捜索隊に発見されやすいよう
赤とか黄色のウエアを選びなさいとのことでした。

私、冒険家じゃないんですけど……(*^.^*)

  


Posted by チャーリー at 19:35Comments(2)奄美の暮らし

2010年03月02日

風力発電




大熊から、奄美カントリークラブに向かって登っていくと、
巨大な風車が見えてきます。

年間発生電力量は550万キロワット、
約1400世帯分の電力量に相当するそうです。
二酸化炭素の排出量を年間1800トン削減できるそうですが、
火力発電で同量の電力を作り出す場合と比べると、ということでしょうか?
1800トンの二酸化炭素量というのは、
自動車の排気ガスに換算すると約2200台分だそうです。

個人的には、低周波音が気になりました。





  
タグ :風力発電


Posted by チャーリー at 20:48Comments(0)奄美の暮らし

2010年02月28日

これからの奄美便




仕事の都合で、しばらく奄美を離れていました。
鹿児島空港で見かけた、ボンバルディアQ400です。
次期奄美空路の主力機です。

JALの再建がうまくいくといいですね。

それと、
沖縄線のほうが航空運賃が安いというのも、
どんなもんなんでしょうか……(≧∇≦)  


Posted by チャーリー at 20:27Comments(0)奄美の暮らし

2010年02月20日

アバス

  


「奄美シマ博覧会」のイベントのひとつ
「アバスを味わう夕べ」に参加してきました。
会場は、「鳥しん」です。
ハリセンボンの方言名がアバスです。





鳥しんの大将が、アバス解体の実演です。
堅い針で体が覆われていますから、解体も大変です。
昨夜、針は本当に千本あるのか数えたそうです。
結果は、554本。
う~んと考え込む中途半端加減ですが……ごくろうさん!





参加者で一番遠くから来た人は神奈川県から。
奄美大好きだけど、航空運賃が沖縄より高いのは納得いかないと言ってました。
アバスの肉や肝の唐揚げや鍋でごきげんな一夜でした。
「奄美シマ博覧会」はナイス企画です。





  


Posted by チャーリー at 23:11Comments(0)奄美の暮らし

2010年02月18日

ミスド




ミスタードーナツ奄美大島店です。
奄美大島に1軒かな?
カフェオレがおかわり自由なのがうれしいです。

後ろに見えるのは、小浜ヒルズ
入居者募集中のようですね。

住所 鹿児島県奄美市名瀬小浜町34
電話 0997-55-0092





  


Posted by チャーリー at 20:53Comments(2)奄美の暮らし

2010年02月15日

二日正月




今日は、旧暦の1月2日 二日正月です。
農家は作の祝いと称し仕事始めを行い、午後から家族全員で
元旦と同様三献(さんごん)の儀式をして豊年を祝います。
また、大工祝といい、大工の神を祭る日でもあったようです。

笠利町の「奄美リゾートばしゃ山村」にでかけました。


奄美リゾート ばしゃ山村
  【TEL】0997-63-1178 【FAX】0997-63-1868
  〒894-0508 鹿児島県奄美市笠利町用安1246-1

上の写真は、「ばしゃ山村」に移設された旧安田邸です。国指定の有形文化財です。
奄美の旧家において、笠利町用案に伝わるしきたりに従い二日正月を、再現していただきました。


  


お茶は、今朝早朝に清水から汲んできた若水でいれてあります。大根の漬け物といっしょにでます。
お客様がそろうと三献の儀式が始まります。
おもちの入ったお吸い物が配られます。
「おしょろ」と声が掛けられ、いただきます。





次はタコのお刺身です。


  


次は豚の血の吸い物です。
今は、血を料理に使うことは、保健所の指導で出来なくなっているそうです。

その後、昆布とスルメと塩をいっしょにいただく塩盛が回り、
お料理が出て酒宴となります。





今日は、坪山豊さんの祝い歌でした。
坪山さんは、伝統的な板附船を作ることができる奄美で唯一の船大工でもあります。

ナンコや歌遊びで楽しみ、六調をみんなで踊ってお開きとなりました。
総勢13人で古式豊かな奄美の時間を過ごしました。

いつものことですが、
たくさんの説明を聞いたのに、記憶があちこち飛んでしまったことがホントに残念です。







  


Posted by チャーリー at 20:42Comments(2)奄美の暮らし

2010年02月14日

舟焼き




今日は、奄美は旧正月でした。
奄美では旧暦が様々な場面でまだ生きています。

3時のお茶に舟焼きが出てきました。
はったい粉を使った焼き菓子で、
クレープのように薄くまいて何枚も重ねて作るお菓子です。
最近は、ホットプレートが普及してずいぶん作りやすくなったそうです。

お祝い事がある時に出てくるお菓子だそうですが、
笠利地方を中心として食べられていたようで、
名瀬の人はつい最近このお菓子を知ったそうです。

食べるともちもち感があり、
黒糖風味で見た目よりさっぱり感があります。
やさしい味覚でした。

  
タグ :舟焼き


Posted by チャーリー at 18:43Comments(0)奄美の暮らし

2010年01月30日

西郷蟄居跡




龍郷町の西郷蟄居跡です。
入館料200円でしたが、申し訳ないと思うぐらいに一人のために丁寧に説明をしてくださいました。
愛加那さんの御子孫だそうです。
200円でまかなえるのですかと聞いたら、
正直つらいとのことでした。
一番のネックは「藁葺き屋根の葺き替えだ」とか。
町からも補助をいただいているが、手出しの部分もあるので、
簡単には葺き替えられないそうです。





この家は、最初に建てた家が1909(明治42)年の地震で倒壊したので建て直し、
更に1951(昭和26)年の台風でも倒壊したので、もとの木材を使用し、
一部資材の取り替えを行って原型に復元したものです。
この家に、1891(文久元)年11月20日に
愛加那と息子の菊次郎とともに入居しました。

興南会発行 川畑満州夫著 『西郷隆盛とその妻「愛加那」』という本があって、
奄美に流謫になったいきさつ、愛加那との結婚、別れなど大変詳しく書いてありました。
2001(平成13)年刊の小冊子です。





  


Posted by チャーリー at 21:17Comments(0)奄美の暮らし

2010年01月29日

高倉の葺き替え




龍郷町役場を通りかかったところ、高倉が葺き替え作業中のようでした。
写真を撮った日は土砂降りでしたので作業は中断されていたんだろうと思います。
てっぺんからブルーシートで覆われていました。

かなりおおきな8本柱の高倉です。

建物の中に、雨に濡れないようにでしょうか茅をたくさん入れてありました。
今回の葺き替えには1000束以上集めたそうです。
龍郷町秋名集落の人々が中心になって作業に取り組んでいます。





何に使うのでしょうか。茅の中にあちこち差し込んで、動かないようにするのでしょうか。


秋名集落では、集落の中にも、また、田袋の奥にも高倉を見ることができます。
西郷住居の管理をしている方も葺き替えは秋名の皆さんにお願いするといっていました。

徒然草の大井の土民が水車を結う話を思い出します。

費用が約150万円ということになっていますが、その経費はもちろん、
高倉を葺き替える技術の継承が一つの課題となっているようです。

教育委員会の方にお伺いしたところ、
平成7年調査で、わらぶき屋根から改造されたものも含めて
龍郷町内の高倉の数は51棟あったそうです。
現在は30棟ぐらいでしょうかとのことでした。


こちらは、秋名の田袋の奥にある高倉です。


  


Posted by チャーリー at 22:14Comments(0)奄美の暮らし

2010年01月28日

大棚(おおだな)




大和村立大棚小中学校です。
奄美市中心部から25kmぐらいです。





大棚商店です。
大棚小中学校の前にあります。
飲み物とビスケットを買い込みました。
にぎわっていて、レジで待ちました。
こういっては失礼ですが、意外でした。

これから、湯湾岳に登ろうと思っています。


  


Posted by チャーリー at 19:53Comments(4)奄美の暮らし

2010年01月27日

奄美野生生物保護センター




大和村役場前から見た、大和村公民館です。
独特の形ですね。
何かをイメージしているようです。
すぐ右手、川向かいに群倉(ぼれぐら)がありますので
色といい、高倉をイメージしているのでしょうね。

公民館の中には、図書室もあります。
小さな図書室ですが、村民のためにがんばっています。





移動図書館車が本の積み替えをしていました。
学校などを回ったりして、本を待っている人の所に届けてくれます。
このような車をBMといいます。ブックモバイル(bookmobile)の略です。
奄美のような集落が浦々に点在していたり、山に遮られていたりするようなところでは重宝します。
ちなみに、東京都のような交通網が発達したところでは必要性が薄く、
23区全てで2005年までにBMシステムは廃止されました。

公民館の奥に、奄美野生生物保護センターがあります。






奄美野生生物保護センターでは、
アマミノクロウサギ、オオトラツグミ、アマミヤマシギなどの希少な野生生物や
奄美固有の生き物を中心に、野生生物の保護や、
自然への理解を深めてもらうための展示、資料作りなどをしています。

奄美の野生保護の中心的施設ではないかと思います。


■ 開館時間: 午前10時~午後4時30分
■ 休館日 : 毎週月曜日、みどりの日およびこどもの日をのぞく祝日及び年末年始
■ 住 所 : 鹿児島県大島郡大和村思勝字腰ノ畑551番地
■ 電 話 : 0997-55-8620
■ 管理協力: 鹿児島県環境保護課、大和村等
■ メールアドレス: RO-AMAMI@env.go.jp




  


Posted by チャーリー at 22:02Comments(0)奄美の暮らし

2010年01月27日

奄美野生生物保護センター




大和村役場前から見た、大和村公民館です。
独特の形ですね。
何かをイメージしているようです。
すぐ右手、川向かいに群倉(ぼれぐら)がありますので
色といい、高倉をイメージしているのでしょうね。

公民館の中には、図書室もあります。
小さな図書室ですが、村民のためにがんばっています。





移動図書館車が本の積み替えをしていました。
学校などを回ったりして、本を待っている人の所に届けてくれます。
このような車をBMといいます。ブックモバイル(bookmobile)の略です。
奄美のような集落が浦々に点在していたり、山に遮られていたりするようなところでは重宝します。
ちなみに、東京都のような交通網が発達したところでは必要性が薄く、
23区全てで2005年までにBMシステムは廃止されました。

公民館の奥に、奄美野生生物保護センターがあります。






奄美野生生物保護センターでは、
アマミノクロウサギ、オオトラツグミ、アマミヤマシギなどの希少な野生生物や
奄美固有の生き物を中心に、野生生物の保護や、
自然への理解を深めてもらうための展示、資料作りなどをしています。

奄美の野生保護の中心的施設ではないかと思います。


■ 開館時間: 午前10時~午後4時30分
■ 休館日 : 毎週月曜日、みどりの日およびこどもの日をのぞく祝日及び年末年始
■ 住 所 : 鹿児島県大島郡大和村思勝字腰ノ畑551番地
■ 電 話 : 0997-55-8620
■ 管理協力: 鹿児島県環境保護課、大和村等
■ メールアドレス: RO-AMAMI@env.go.jp




  


Posted by チャーリー at 22:02Comments(0)奄美の暮らし

2010年01月27日

奄美野生生物保護センター




大和村役場前から見た、大和村公民館です。
独特の形ですね。
何かをイメージしているようです。
すぐ右手、川向かいに群倉(ぼれぐら)がありますので
色といい、高倉をイメージしているのでしょうね。

公民館の中には、図書室もあります。
小さな図書室ですが、村民のためにがんばっています。





移動図書館車が本の積み替えをしていました。
学校などを回ったりして、本を待っている人の所に届けてくれます。
このような車をBMといいます。ブックモバイル(bookmobile)の略です。
奄美のような集落が浦々に点在していたり、山に遮られていたりするようなところでは重宝します。
ちなみに、東京都のような交通網が発達したところでは必要性が薄く、
23区全てで2005年までにBMシステムは廃止されました。

公民館の奥に、奄美野生生物保護センターがあります。






奄美野生生物保護センターでは、
アマミノクロウサギ、オオトラツグミ、アマミヤマシギなどの希少な野生生物や
奄美固有の生き物を中心に、野生生物の保護や、
自然への理解を深めてもらうための展示、資料作りなどをしています。

奄美の野生保護の中心的施設ではないかと思います。


■ 開館時間: 午前10時~午後4時30分
■ 休館日 : 毎週月曜日、みどりの日およびこどもの日をのぞく祝日及び年末年始
■ 住 所 : 鹿児島県大島郡大和村思勝字腰ノ畑551番地
■ 電 話 : 0997-55-8620
■ 管理協力: 鹿児島県環境保護課、大和村等
■ メールアドレス: RO-AMAMI@env.go.jp




  


Posted by チャーリー at 22:00Comments(0)奄美の暮らし

2010年01月25日

小宿(こしゅく)埋立俯瞰図




昨日のブログを見たHさんが、小宿町の全体が見える写真を提供してくださいました。
2010年1月1日に小宿町厳島神社から撮影したものだそうです。
厳島神社は、平成19年7月に改築されて、小宿小の後ろの山に美しい社殿を見せています。





手前の、黄色い帯が掛かっている部分が本来の小宿の集落です。
この地区には、古くからの建物も残っています。
漁村だったようです。
1984(昭和54)年3月に、全工区が完成しました。
322,077㎡、サッカーグランド40面分です。

サッカーグランド40面分という表現は、広いんだか狭いんだかよくわかりませんね……(*^.^*)
応援スタンドを含めた甲子園球場全体の8個半というのはどうでしょうか。


さて、小宿の埋立地はいつ出来たのだろうと思って調べましたが、
ネット検索ではなかなかヒットしませんでした。
それが、ひょんなことから
「奄美土木史年表」という本にいきあたり、1984(昭和54)年3月という日を知ることができました。





入佐一俊著 平成4年9月刊行です。
入佐さんは、前書きや後書きから推測しますに、県職員でいらしたようです。
「年末年始の休暇中にでもできあがる」ぐらいのつもりで作りはじめたそうですが
古くなるほど記録は残っていないものもあり、2年半以上かけて完成されたようです。

正確な記録、しかも系統的に保存してある記録は大切です。
平成4年以降の記録はどうなっているのでしょうか。


  


Posted by チャーリー at 17:22Comments(2)奄美の暮らし

2010年01月24日

小宿(こしゅく)町




県道79号線を大和村に向けて走っています。
小宿トンネルの手前から、海岸線を回って小宿町にはいることにしました。





埋め立てられて海岸線がなくなっています。
今では立派な住宅街ができあがっています。
元々の海岸線を探しに行ってみましょう。
小宿郵便局の前を、小宿小学校方面に左折します。


  


かつての堤防がそのままの形で残っていました。
ロープが残っていますが、船をつないでいた当時のものでは、まさかちがいますよね。





右が埋め立てられたところ。
左には山がすぐ後ろまで迫っています。
小宿はかなり小さな集落だったことが分かります。
海岸線を回る道路もなかったのかもしれません。
古地図がほしいですね。


新興住宅街として、一時は人口もかなり増えましたが、
2009年12月の推計人口は706人、351戸です。
戸数と人口を比較してみると、住宅地自体が年老いていることが分かります。
育った若者が出て行く一方なのでしょうね。
海岸沿いに立ち並ぶアパートの入居者探しが難しくなるかもしれません。


  
タグ :小宿町


Posted by チャーリー at 23:19Comments(0)奄美の暮らし

2010年01月22日

永井姉妹 ふたたび



あまみFMディ!ウェイブの新年会に行ってきました。
ステージに上がっているのは、スタッフの皆さん。

このあと、それぞれの番組に出演していらっしゃる皆さんのコメントがあって
その声を聞きながら、あの番組はこの人だったのかと
おもしろい発見がありました。

ずいぶんたくさんのボランティアさんに支えられているようでした。

で、島唄は、永井姉妹の登場でした。





永井姉妹は、「お昼のディ!お茶ど」を担当しています。
午後3時からです。
癒されますよ~。


  





がんばって、メジャーになってね……(*^.^*)イマノウチニサインモラットコ!


  


Posted by チャーリー at 20:39Comments(0)奄美の暮らし

2009年12月29日

行く船、来る船




マルエーフェリーの「フェリーあけぼの」に乗りました。





前日の夜9:20分に名瀬港を出港して、すでに、錦江湾に入っています。
いつものとおり、
「船酔いする前に、ビールで酔う作戦」を決行したために、
朝6時、さわやかな目覚めでした。

カメラを持ってデッキに上がると、たくさんの船とすれ違いました。


  
        (緑のトッピー)                   (屋久島丸)

  
        (赤いトッピー)                   (ロケット)


季節はずれの黄砂でも来たのでしょうか、南の空は太陽の光が黄色く拡散していました。


   


Posted by チャーリー at 19:23Comments(0)奄美の暮らし

2009年12月28日

奄美自然観察の森




奄美自然観察の森 です。

「長雲峠の四季」という公式サイトがあります。

                      → こちら 「長雲峠の四季」 です。

夏に、観察の森の駐車場でバイクのエンジンがかからなくなったところを
管理人さんに助けてもらって以来
2009年は、大変お世話になりました。

本当にありがとうございました。
2010年も、お世話になろうと心の中で決めてかかっています。
よろしくお願いします …… (^.^)





コショウ目 センリョウ科 センリョウ属 センリョウ です。

東アジア~インドに分布します。
日本では南関東・東海地方から九州・沖縄まで。
比較的暖かい常緑樹の薄暗い林の中に自生します。


観察の森で撮影しました。


  


Posted by チャーリー at 21:54Comments(0)奄美の暮らし

2009年12月26日

平行盛神社

「アリモリソウ→平有盛」から、連想のスパイラルで
「平行盛(たいらのゆきもり)」にいきます。






平行盛神社入り口です。
龍郷町戸口集落にあります。
空港から国道58号を龍郷町役場を通り過ぎ名瀬に向かって走ると
左手にディスカウントショップ「ビッグⅡ」が見えてきます。





その手前の信号を、左手に入っていって突き当たった集落が戸口(とぐち)です。

正面に戸口港、平行盛神社はさらに右手に進み突き当たった高台の上にあります。
高台と言っても標高差は7~8m程度です。
しかし、地形としては天然の要害です。川をお堀代わりに使っています。
戸口港から攻め入ったとして、この本丸は浦の最深部に位置しています。
たどり着くまでに3つの武者だまりを突破しなければならない
築城になっていたようです。





平家と奄美との関わりの概要はこうです。

壇ノ浦の決戦の前夜、平資盛は安徳天皇を密かに連れだし、
志布志を経由して奄美へ逃れました。
安徳天皇を硫黄島にお守りし、生活物資は奄美大島から届けました。
資盛は諸鈍に居城を構えて全軍を総管し、
有盛は浦上に居城を構えて北部を警備し、
行盛は戸口に居城を構えて東南を警備しました。
いくつかの不運が重なり、平家一族は1240(仁治元)年頃には
滅亡したと伝えられています。

このことは、1773(安永2)年、
大島名瀬方役目の道郷から薩摩藩に差し出された
「奄美大島平家没落由来書」に記されています。
ただし、この由来書はかつて行盛の家臣が記していたものを
道郷が写したものだと考えられています。
道郷は、行盛の本拠地、戸口の出身でした。

先祖から、平家一党のことを重々聞かされており、記録も残っていたようですね。

由来書の顛末は、昇曙夢(のぼり しょむ)「大奄美史」の中に記されています。
大奄美史は昭和24年奄美社から出版された奄美歴史のバイブルですが、
このほど、平成21年8月南方新社より復刻出版されました。
           ISBN 9784861241666
      定価 9660円






こちらの写真は戸口港です。
大島東側の、冬の季節風に悩まされることの少ない天然の良港です。
戸口は、「戸(=海)の口」という解説もされていますが、
発掘による中国陶磁器類の出土状況を見ると、
琉球・中国貿易のために開かれた「戸口」という理解が
簡単で理にかなっているような気がします。

出てくるとき、名瀬港は一番外の一文字堤防を波が越えるような荒れ模様でしたが、
戸口は、ご覧のようなのどかな冬景色でした。
天然の良港とは、このことですね。


さて、ここまできたら、残りは、「平資盛(たいらのすけもり)」ですが、
こちらは、諸鈍シバヤで有名な、「大屯(おおちょんじんじゃ)神社」です。

諸鈍シバヤについては、すでに、アップしてありますので、

         → こちら 「諸鈍シバヤ」

で、ごらんください。


なぜ、平家一党は、奄美の地でこのように大切にされているのでしょうか。
それは、平家一党が、地元住民を支配しつつも、大切に扱ったからに他なりません。
生活、芸能などの多方面で、良き指導者であったようです。
「奄美中興の祖」という感じです。

2005年10月9日から3日間、
加計呂麻島の諸鈍で「平家来島800年祭」が行われたということです。



  


Posted by チャーリー at 20:37Comments(0)奄美の暮らし

2009年12月25日

本土復帰記念日




本日、12月25日は、本土復帰記念日でした。

上の写真は、本土復帰記念式典の風景。
正面の石碑が、復帰記念碑。
手前は、参集した小中学生と一般の方々。
挨拶をしているのが、実行委員会名誉顧問の楠田豊春さんです。


戦後、奄美は、沖縄とともに日本から行政分離され、米軍政下に置かれました。
北緯30度に国境が設定されましたので、自由な往来ができなくなりました。
教科書どころか、食料などの生活物資が不足し、困窮した奄美の住民は、
1951年に奄美大島日本復帰協議会を結成し、復帰運動を展開します。
そして、1953年12月25日にようやく日本へ復帰したのです。

今日は、午前中、おがみ山にある復帰記念公園で記念行事があり、
功労者の泉芳朗(いずみほうろう)の胸像に対して献花を行いました。








午後からは、あまみFMディ!ウェイヴが
「アンコール特集 あの日・あの頃 アメリカ軍政下・行政分離期の奄美を語る」
という企画で、商店街あいあい広場より公開生中継を行いました。





右は、司会のあまみFMディ!ウェイブ 中原優子 さん。
左が、奄美市博物館の中山さんです。

勉学のために、生活必需品を手に入れるために、
密航を余儀なくされた当時の体験者の話を聞いて、目頭が熱くなりました。
先人の、そういう苦労の上に今の奄美は成り立っています。
語り継いでいかなければならないと思います。


去る12月20日(日)には、県立奄美図書館で、
「奄美群島日本復帰運動シンポジウム」が行われました。

詳しい年表や、当時鹿児島に渡るために必要だったパスポート、
住民の99.8%の署名を集めた復帰嘆願書など、歴史を物語るたくさんの資料が、
県立奄美図書館 2F 郷土コーナーに展示してあります。
ぜひ、ご覧になってください。


  


Posted by チャーリー at 18:25Comments(0)奄美の暮らし