2009年12月18日

三太郎茶屋跡

「奄美の森に生きた人~柳田国男が訪ねた峠の主人・畠中三太郎~」という本を読みました。
著者は当時の名瀬市生まれ,現在は鹿児島市坂元町にお住まいの前橋松造さんです。
2001年4月に出版されました。


三太郎茶屋跡


三太郎は,鹿児島県川辺町に生まれた人でした。
農業指導員として奄美で生活していました。
鹿児島県の予算ではなく,地元住民の共同作業として完成した峠道に,
農園を切り開き行き交う旅人に憩いを提供する茶屋を開く決意をします。
1899年(明治32年)のことでした。
茶畑やミカン園,また,種々の野菜園を作りました。
板付け船の材料として重宝された杉の苗を植えました。
礼儀正しく人望篤く,島の人々から慕われており,
いつのころからか敬愛の念を込めて「三太郎峠」と人々が呼ぶようになりました。

しかし,時代の波が押し寄せ別ルートの県道ができました。
茶屋の前の峠道はバスなどの車を通すように拡張することが不可能だったのです。
当然茶屋に立ち寄る人はめっきり減り,茶屋は閉鎖に追い込まれていきます。

それでも,地元の人々の温かい支えもあり,夫婦二人で住み続け,この茶屋が終の住処となりました。
昭和7年没,75歳の生涯でした。

この本を読んで、三太郎茶屋の跡地に行ってきました。


三太郎峠旧道をモダマ自生地を通り過ぎて名瀬側から登っていくと
峠を越えたところで,右手に入る道があり、三太郎茶屋跡2.3kmという案内があります。

道なりに進むと,旧住用町教育委員会が立てた案内板があり三太郎茶屋跡地に立つことができます。


三太郎茶屋跡


眼下には,太平洋が望まれ,この美しい風景を見ながら
三太郎は生涯を終えたのだなあと思うことでした。


三太郎茶屋跡  三太郎茶屋跡


住居跡などは一切ありませんが,片隅に陶器の瓦礫などが重ねてあり,
生活の一端をのぞかせていました。

畠中三太郎の生き方に感動し,弔意も込めて,
現地を散策してきたことでした。

トンネルができて生活は劇的に変わりました。
この便利さと引き替えに失ったものを、ときどきは思い出してみることも大切なのかもしれません。

シラタマカズラの白い実ががきれいに周りを彩っていました。


三太郎茶屋跡





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Posted by チャーリー at 19:09│Comments(0)奄美の暮らし
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